もう一つの日記

 

「直治の日記」番外編

〜もう一つの話〜

 

 

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3.誘惑の観覧車

 

  扉が閉まって、ゴンドラは空に向かって上がっていく。

 デジタル時計の軸を中心に、円周にそって、ゆっくりと、回る。

 広がっていく景色をしばらく見てから、実咲は小首を傾げるような動作で健次に振り向いた。

「これで、後20分だけは2人きりだね」

「……」

 彼は返事の代わりに、実咲を軽く睨み返した。

「そこまで怒らなくても」

 彼女は、少し寂しげに苦笑する。健次の反応を予想していた、という仕草だ。

「――別に、怒っているわけじゃないさ」

 一呼吸してから、彼は首を振って答える。

 そう、腹を立てているわけではない。

 コーヒーカップから歩いて5分としない位置の大観覧車に、手を引っ張られたまま乗せられてしまったが、拒否することならいつだってできた。そうせずに実咲についてきている時点で、彼女に対して怒るのは筋違いだろう。

 それに、こうなるだろうという予感はあったから、はぐれたときの待ち合わせ場所を直治と決めておいた。皆が探し回るような事態にはなっていないはずだ。

 心配するとすれば、それは残してきた円花と、

 目の前の少女の行動だけ。

「ん、そっか。――そうだね。健次君は、そういう人だっけ」

 健次の返答に、実咲はくすりと笑って髪をはらう。

 一連の動作を見つめてから、彼は外の景色に視線を移した。

「何が、とは聞かないんだね」

「自分のことはそれなりに知ってるつもりだから、な」

「ふぅん」

 園内の喧騒が遠くに聞こえる。

 時々響く、ゴトゴトという音が、妙に耳に残った。

「いつも、1人で解決しちゃうんだね」

「――?」

 首を傾げる健次を見て、実咲ははにかむように微笑む。

「私が、初めて直に話したときもそうだった。あの時は、私は占い師だったけど。直治君を庇おうとして、自分を占ってくれって」

「――ああ、そんなこともあったな」

「それだけじゃないわ。健次君はいつだって、危険そうなことは真っ先に引き受けてる。まるで、誰かが傷つかなくて済むなら、自分のことはどうでもいいみたい。冴子さんの件にしてもそうだし、なにより……」

 彼女は、言いかけた台詞を飲み込んで、自分の膝を見つめる。

 健次が心臓の鼓動を10ほど数えた頃、実咲は顔をあげて、彼の目を覗き込んだ。

「なにより、私にチャンスをくれるんだもの」

 彼女は穏やかに言って、少し身を引くように背筋を伸ばす。

 少し色素の薄い、茶色の瞳が、閉じた。

「健次君に――あなたに、触れてほしい」

 互いの呼吸が、

身じろぎした時の衣擦れが、

 大きく聞こえる。

実咲という女の子が本当は控えめで引っ込み思案な性格だと、健次は知っている。

それはきっと、男に対しての恐怖心。

昔負った傷の、後遺症。

その彼女が、健次の手を引いて、

望んで彼と2人きりになって、

今の言葉を口にするまで、

どれほどの覚悟が必要だっただろう。

精一杯の誘惑。

今にも近づくかもしれない男の手に怯えるかのように、微かに震える体。

彼女と先に出会っていたなら、きっと手を伸ばさずにはいられないくらい、健気な姿。

それでも。

彼は、実咲に触れはしなかった。

「――そんなに私、魅力ないかな?」

 諦めたように、自嘲するように、彼女は、目をつむったまま唇の端をあげる。

「そんなことない」

 ため息をつくように返す言葉は、とても空々しくて、目の前の少女に届くとは到底思えなかった。

「そんなことは、ないよ」

 言い訳がましく、重ねる台詞。

 実咲は、その言葉には答えず、別の台詞を口にする。

「私は、2人でもいいの」

「2人――」

「友達は何人いてもいい。先輩も、後輩も、先生もそう。兄弟も、姉妹も――親だって、1人とは限らないわ」

 彼女は、一言一言、区切るように口ずさむ。

「服だって何着も持つし、家だって……1箇所じゃない。誰が大事なんて、どれが特別なんて、決められない。そうじゃないかな?」

 そう言って目を開いて、健次を見る。

「どうして――恋人は1人なの?私では、駄目なの?」

 怒るでも嘆くでもなく、

 ただ、純粋に問うその口調が、健次の耳に痛かった。

 しかし、答えなければならない。

「――分類が違うんだ。服には冬用も夏用もある。俺は別荘を持ってたとしても同じ環境に整えたりはしない」

 実咲は、首を縦にも横にも振らず、じっと健次の話を聞いている。

「友人だって、誰かに話せることが、別の奴には言えないなんてざらにある。誰も彼も、同じ位置にはいないんだよ」

 手に汗がにじむ。

『あなたが、好きです』

 冬、実咲の言った台詞が、頭をよぎる。

『返事は言わないで。顔を見れば分かるよ。だけどいつか、

あなたを振り向かせて見せるから』

 あの時も、彼女は今のように。

『はは、これじゃ、告白じゃなくて、宣戦布告かな』

 淡く、微笑むだけで。

「ただ、出来る限り1番近くに、誰よりも正面に向かい合いたい人が、円花だった」

 半年前の告白に、終止符を打つ言葉。

 もっと早く、言っておけば良かったと思う。

 こんなに、彼女をすり減らしてしまう前に。

「あいつと君は違うから――同じ位置で、同じ関係には、なれない」

 こんな屁理屈で気持ちを納得させられるなら、

 いくつだって言葉を重ねるのに。

 いつの間にか頂点を回っていたゴンドラは、沈黙を乗せたまま、ゆっくりと降下する。

 時計の分針に見立てて25分を回った辺りで、実咲が、ささやくように言った。

「タイムアップ、だね」

「そうだな……魔法が解ける時間だ」

 面白くもない冗談だと健次は自分の台詞に顔をしかめたが、実咲は小さく笑う。

「おとぎ話なら、王子様がいつか、追いかけてきてくれるはずなのにな」

 彼は返す言葉もなく、ただ外を見る。

下向きの時計が12時を指した。

健次は実咲に手を差し出したが、彼女は口を緩めたまま、首を振って自分で立ち上がる。

先に外に出る彼女を追いかけるようにゴンドラから降りて、

その栗色の髪の少女と共に、その場に立ち尽くした。

「まどか――」

 入り口には、別の場所にいるはずの、円花と直治が待っていた。

 

 

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